2015年12月29日火曜日

10 姚江の会・群馬の原点

友人と話していて、なぜある活動から手を引いたのかという質問を受けた。

これについては以前から一貫していて、
自分よりも他の人がうまくできたり、
もっと興味を持っていることは、
あえて自分がやることもなく、
自分はもっと自分を活かせることをすべきだと思っている、
という話をした。

そこから陽明学の勉強会「姚江の会・群馬」に繋がる。

話しながら、自分なりの理想像があって始めたことだということを思い出した。

帰宅して床に入る前に、手元にあった本が気になって手に取った。
その中に、こんな一文があった。

人間は本来は完全であるから、自力により自己を救済することができるのだという自力主義の貫徹。自力により自得体認して自己の本来性を実現した人々が大同の世界を構成するという理想社会論。
人間存在を弁解を許さぬ限界状況のもとでとらえて、その本来主義と理想論を極点まで謳いあげたところにこそ、『伝習録』の魅力がある。

『王陽明「伝習録」を読む』16頁(吉田公平・講談社学術文庫)

ひとりひとりが「本来性を実現」するのが、豊かな人生を送ることにつながり、
豊かな社会の実現につながるのではないか。

そんな思いで来年も会を継続していきたい。

2015年12月8日火曜日

9 下るから見える景色

お客様の忘年会があり、伊香保に宿泊した。

朝、外を見ると、あまりに遠くの山がきれいだったこともあり、散歩に出た。

近くの道を上ってみた。
なかなか山を見渡せる場所がない。

これはきりがないと思い、あきらめて、
来た道とは違う道を遠回りして下ってみた。

すると、下り坂の途中で、遠くの山までの視界を遮るものがない場所を見つけた。

思わず笑みがこぼれた。
これって生きることとも通ずるかもしれないと思ったのだ。

上ること、前に進むこと、成長することが善だという前提に立っていないか。
いつの間にかそれを疑うこともないのではないか。

自分の足で歩き、景色を見て、風を感じて気づくこともある。

下るからこそ見える景色があるのかもしれない。

2015年12月5日土曜日

8 夢の話

最近は見ないが、怖い夢を見て目を覚ますことがあった。

そんな話を飲んでいる場かどこかでしたところ、
そういう経験はないという人がいて驚いた。

それはそうなのだ。

自分が見ている夢は人が見ている夢とは異なる。

自分は自分の見たことがある夢しか見たことがない。
(しかも、ほとんど覚えていないことが多い。)

自分の夢はカラーだが、白黒だという人もいる。

夢の中で、年齢は不詳だったりする。
自分の姿を見ることがないから分からないのだが。
でも、自分を客観的に見る夢もあるらしい。

夢の中は自由だ。自分を縛る現実と言う制約はまるでない。

海に山に空に冒険をする。
知らない人とも知っている人とも仲良くなる。
行ったこともない場所にも行ける。

いい夢を覚えていた朝はラッキーだと感じるし、
その日は夢を思い出して、にんまりすることもある。
今日はそんな休日だ。

現実と言う制約があるから想像の自由を楽しめるとも言えるが、
所詮、制約を作っているのは自分かもしれない。
だって、やろうと思えばできることも夢にはあるのだから。