2015年9月3日木曜日

「書かれたこと」を読んで「書かれていないこと」を考える ②

『「読み」の整理学』の中で、外山滋比古さんは、
読書には、アルファー読みとベーター読みがあると言う。

単純に言うと、「既知」を読むのがアルファー読み、
「未知」を読むのがベーター読みである。
当然のことながら、読み方は異なる。

この本の中にこのような話が書いてあった。(要約)

近代において、アルファー読みとベーター読みの両極をはっきりさせておく必要が大きくなっている。
かつて本が少なかった時代は、妙な本も少なく、ものを読むと言えば、たいていはベーター読みを想定していた。

ところが、印刷出版文化が発達し、教育が普及し、アルファー読者が多くなった。

こういう読者は昔ながらの古典的書物が読めないが、自分はものを読めると思っているため、アルファー読みでも消化できるような読み物は社会の要求になった。

商売がそれを放っておくはずなく、いわゆるマスコミ文化の中、そういう出版物ばかりになる。

こういう状況だから、ベーター読みをあえて考える必要がある。

(「読みの問題」108~109頁)

一言で「読書」と言うと、すべて同じような行為に見えてしまうが、
アルファー読みとベーター読み、知識のための読書と心を鍛える読書、
実利的な読書と目的を持たない読書、などなど、
本との向き合い方で意味は異なる。

放っておくと、アルファー読みや合目的的な本を読むことが「読書」となってしまう気がする。
改めて、本を読むこと、そして、学ぶことについて考えてみたい。

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