2015年1月26日月曜日

最近考えていること~エントロピーについて

師走は考える間もなく過ぎていき、
睦月の半ばから立春にかけて、現在の問題を象徴するような事象が起こる、
というのが自分の今までのパターンだったりする。
(皆さんもそうなのだろうか。)

今日はこの数週間で感じたことを書いてみたい。

まずは、松岡正剛氏の「『松岡正剛の千夜千冊』1043夜」から引用。

----------

 宇宙の全体や物質の基本的な運動が、大局的にはエントロピーの増大に向かっているのは知られている。どんな物質も放っておけば無秩序な状態に向かい、周囲の環境と区別がつかなくなっていく。熱い紅茶を放っておけばやがて紅茶は器と同じ温度になり、器とともに室温と同じになっていく。熱力学ではこれを熱死と言っている。熱死とは無秩序の頂点のことをいう。宙も紅茶も目的はひとつで、ひたすらこの熱死に向かっているわけだ。

----------

別に今まで手を抜いて生きて来たつもりもないが、
(とは言っても、胸を張ってしっかり生きて来たとは口が裂けても言えないけど。)
振り返ると、明確に意識して来なかったように感じるものがある。

それは「エントロピー」との付き合い方だ。

エントロピーの増大は物理学の大原則で、
簡単に言うと秩序から混沌に向かっていくという法則。

これまで様々なことを考えて取り組んできたことが、
どんどんとっ散らかっている気がしてきたのだ。

「仕舞う」とか「片を付ける」とかせずに進んでいると言うべきか。

いい会社はエネルギーの方向が良く、過剰さがなくて静かだと思う。
そんな話をさせて頂くことがあるのだが、自分自身はそれができていないと反省。

以下、再び引用。

----------

 ところが地球上の生命が活動をしているときは、これとはまったく逆の現象がおこっているように見える。生命は生物体として熱力学の原理に抵抗するかのように秩序をつくり、これを維持させたり代謝させているのだから、無秩序すなわちエントロピーの増大を拒否しているようなのだ。

 生物もやがては死ぬのだから、大きくいえば熱死を迎えていることになる。しかし、そこにいたるまでが尋常ではない。生命は個体としての生物活動をしているあいだ、ずっとエントロピー(無秩序さの度合)を減らし、なんとか秩序を維持しようとしているようなのである。これをいいかえれば、生命は負のエントロピーを食べているということになる。

----------

新年最初のお話の中で「投企」という言葉について書いて、
もやっとしたものに言葉を与えられたように感じたが、
何に向かって投企すべきかまでは落とし込めてなかった。

秩序に向かって「企み」を「投げる」。

今まで、エントロピーのことを知ってはいたのに走り続けてしまった。
しかし、自分の時間が有限だということに自覚的になると、
エネルギーの使い方に意識的になるものなのかもしれない。

もう少し早く動けば、ここまでとっ散らからずに済んだのにと思う。
だが、なんとか手綱を自分の手に取り戻したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿