2016年4月20日水曜日

相手を知りたいと思う気持ち①

弊事務所では、朝の研修を行っているが、
新入社員が入ったということもあり、
普段よりも皆で話をする研修を増やしている。
 
先日は、藤屋伸二先生の
『20代から身につけたい ドラッカーの思考法』
の課題箇所を事前に読んで、 3分間の感想を発表し、
その後、他のスタッフが感想や意見をフィードバックすることにしていた。
 
数名終わった後、 私は感じたことがあった。
所内で起こっていることは所外でも起こる。
 
これがお客様に対しても同様なら困ると思ったのだ。
 
(つづく)

2016年4月19日火曜日

敬意を体に刻む

そのマラソンで感じたことをひとつ。
 
自分の力を過信した私は、
明らかにペースを上げすぎた。
 
さらに、20キロを通過した辺りから、
雨が降り始め、さらには強風が吹き、
30キロを越える頃には、
すっかり体温と体力を奪われ、
足がピタリと止まってしまった。
 
残り10キロメートル。
人から聞いてはいたものの、きつかった。
舐めていたと思った。
 
そんな身の程知らずの自分を、
それまでに抜いて来たたくさんのランナーが追い抜いていく。
淡々と一定のペースを刻んで。
 
心の中に湧いたのは、
悔しさではなく、
別の感情だった。
 
皆さん、すごいわ。
心からそう思った。
 
しっかりと準備をして、
自分のペースで走り切る。
本当に素晴らしい。
 
それと比べて、 自分は過信があった。
 
自分以外の名前も知らない人への敬意。
それを体に刻めたことだけでも、
フルマラソンに挑戦した甲斐があった。

2016年4月18日月曜日

慎重な準備と気楽な実行

誰から聞いたか、
そして、正確な言い回しが合っているか、
記憶が定かではないのだが、
準備と実行について、
こんな話を聞いたことがある。
 
慎重な準備と気楽な実行。
 
準備はこれでもかというくらいにして、
あとは気楽に実行する。
これが肝心だ、と。
 
4月17日の日曜日、
フルマラソンに挑戦した。
 
完走と言うか完歩したが、
完全なる準備不足を感じた。
 
気楽な実行になるくらいまで、
完璧な準備をする。
 
時にはこうした期日のある
「本番」を作ると気付くこともあるものだ。

2015年12月29日火曜日

10 姚江の会・群馬の原点

友人と話していて、なぜある活動から手を引いたのかという質問を受けた。

これについては以前から一貫していて、
自分よりも他の人がうまくできたり、
もっと興味を持っていることは、
あえて自分がやることもなく、
自分はもっと自分を活かせることをすべきだと思っている、
という話をした。

そこから陽明学の勉強会「姚江の会・群馬」に繋がる。

話しながら、自分なりの理想像があって始めたことだということを思い出した。

帰宅して床に入る前に、手元にあった本が気になって手に取った。
その中に、こんな一文があった。

人間は本来は完全であるから、自力により自己を救済することができるのだという自力主義の貫徹。自力により自得体認して自己の本来性を実現した人々が大同の世界を構成するという理想社会論。
人間存在を弁解を許さぬ限界状況のもとでとらえて、その本来主義と理想論を極点まで謳いあげたところにこそ、『伝習録』の魅力がある。

『王陽明「伝習録」を読む』16頁(吉田公平・講談社学術文庫)

ひとりひとりが「本来性を実現」するのが、豊かな人生を送ることにつながり、
豊かな社会の実現につながるのではないか。

そんな思いで来年も会を継続していきたい。

2015年12月8日火曜日

9 下るから見える景色

お客様の忘年会があり、伊香保に宿泊した。

朝、外を見ると、あまりに遠くの山がきれいだったこともあり、散歩に出た。

近くの道を上ってみた。
なかなか山を見渡せる場所がない。

これはきりがないと思い、あきらめて、
来た道とは違う道を遠回りして下ってみた。

すると、下り坂の途中で、遠くの山までの視界を遮るものがない場所を見つけた。

思わず笑みがこぼれた。
これって生きることとも通ずるかもしれないと思ったのだ。

上ること、前に進むこと、成長することが善だという前提に立っていないか。
いつの間にかそれを疑うこともないのではないか。

自分の足で歩き、景色を見て、風を感じて気づくこともある。

下るからこそ見える景色があるのかもしれない。

2015年12月5日土曜日

8 夢の話

最近は見ないが、怖い夢を見て目を覚ますことがあった。

そんな話を飲んでいる場かどこかでしたところ、
そういう経験はないという人がいて驚いた。

それはそうなのだ。

自分が見ている夢は人が見ている夢とは異なる。

自分は自分の見たことがある夢しか見たことがない。
(しかも、ほとんど覚えていないことが多い。)

自分の夢はカラーだが、白黒だという人もいる。

夢の中で、年齢は不詳だったりする。
自分の姿を見ることがないから分からないのだが。
でも、自分を客観的に見る夢もあるらしい。

夢の中は自由だ。自分を縛る現実と言う制約はまるでない。

海に山に空に冒険をする。
知らない人とも知っている人とも仲良くなる。
行ったこともない場所にも行ける。

いい夢を覚えていた朝はラッキーだと感じるし、
その日は夢を思い出して、にんまりすることもある。
今日はそんな休日だ。

現実と言う制約があるから想像の自由を楽しめるとも言えるが、
所詮、制約を作っているのは自分かもしれない。
だって、やろうと思えばできることも夢にはあるのだから。

2015年11月30日月曜日

7 閉じた若者、開いたおじさん

同じ一日に、対照的な2人に会った。

閉じた若者と開いたおじさん、とでも言おうか。

これが非常に表現しづらい。
上手く伝わればいいのだけれど。

まずは、閉じた若者について。
人を受け入れる気がしない。
コミュニケーションの扉が閉じている感じ。

続いて、開いたおじさんについて。
何を話すでもなく、相手を受け入れてくれそうな安定感。

コミュニケーション能力と言えばそこまでなのだが、
当然テクニックの話ではないし、年を重ねたせいだけでもない。

では、何が違うのだろうと考えたのだが、
「身体」なのではないかという気がした。

閉じた若者は体が機能していない。
エネルギーが通っていないように見えた。

生命力、とでも言おうか。

もし自分が元気のない若者を預かることになったら、
その開いたおじさんの仕事を手伝わせてやってくれと頼んだ。
(飲んだ席で無理やり。)

頭でっかちにならず、我武者羅に外で仕事をして、笑って、
怒られて、腹減って、おなかいっぱい食べて、ぐっすり寝る。

おじさんの下で、そんな経験をさせてあげたいと思った。

その開いたおじさんは、
このような仕事やイベントをしている尊敬する友人の一人なのだ。
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